山城巡り 2022.2.22
34.埼玉県川越市砂久保 砂久保本陣
砂久保陣場は、戦国時代に扇谷上杉氏、山内上杉氏、古河公方足利氏の連合軍と小田原北条氏が河越城をめぐり戦った時に陣が張られた場所。
遺構は特になく神社に標識があるのみ
(歴史概要)
1537年(天文6)河越城を本拠とする扇谷上杉家は、朝定(ともさだ)が北条氏に戦いを挑み、武蔵府中・深大寺城を城築し対抗するも、
1541年(天文10)朝定は、河越城奪回を企てるも失敗
1545年(天文14)
9月26日 山内上杉憲政と手を結び、河越城に侵攻、包囲。北条方の北条綱成(つなしげ/北条氏康の義弟)が籠城。
10月27日 両上杉方は戦いの正当化のため古河公方足利晴氏(妻は北条氏康の妹)を懇願により上杉軍に迎える
1546年(天文15)扇谷上杉氏の宿老の岩槻城の太田全鑑(ぜんかん)を離反させ味方に引き入れ、4月17日に出陣。砂窪(砂久保)に着陣し、足利晴氏に助命を懇願するが取次も拒否される。
4月20日 上杉憲政が氏康陣所の砂窪に攻めかかる。氏康は劣勢も跳ね除け、遊撃。城内からは綱成らも撃って出て、氏康の奇襲などにより北条氏が勝利する。(河越夜戦)
結果、上杉憲政は平井城に、足利晴氏は古河に敗走し、扇谷上杉氏は朝定とその重臣難波田善銀が戦死し滅びた。