定年退職後、1年経った
2022年年始め
今年からブログも始めることにした。
実家の山口県山陽小野田に認知症の84歳の母を91歳の父が介護しながら生活をしている
新型コロナの影響で気軽に帰省することもできず、昨年1月に定年退職して再就職したものの職場が性に合わなかこともあるが、両親のことが気掛かりで、なかなか身に入らず8月末に退職してしまった。
ハローワークの手続きを済ませて、10月14日からカミさんの空き家になっている実家に2週間の待機をして帰省した。
既に母はわたしを認知できず
頭の中には、私は居るようだが、目の前のわたしは誰だかわからない。
叔母が母に、わたしの名前を言って認識させようとしたが、わたしを見つつ
「どこに在るかね?、あら気が付かなかった、大きくなったね」と取り繕うような発言。
小さな頃のわたしは頭の記憶にはあるようだが、目の前のわたしと一致できず、認知できない。
父は一所懸命、食事の支度をしたり、洗濯をしたり、母がデイサービスに行っている間は趣味の陶芸教室に顔を出して息抜きをしたり、訳の分からないことを言う母の相手をしていた。
また、お隣の叔母、近くに住む母の妹となる叔母が、いろいろサポートをしてくれていて助けてくれていた。
わたしは、ハローワークの手続きや就活のため11月の中旬には川越の自宅に戻って、連絡をとりつつ様子を見ることとしていたが、
今年になって、母は父かちょっと目を離した隙に裸足で当てもなく出歩くことが始まり、また怒り始めると見境なく人を叩いたり、罵声をあげたり。
膝を痛めて高齢の父には手に負えない症状が出るようになった。
叔母から状況の電話連絡はもらうも、わたしには何もできることはなく、情け無い気持ちでいっぱいになる
就活の面接やハローワークの手続き、こちらでの妻との生活、新型コロナによる行動の制約などもあり、
どうしたものかと…ため息混じりの悩ましい毎日が続いている
これから、自分が認識したこと、行動したこと、感じたことをブログに書くことにより、気持ちを整理しながら過ごして行くことにした。
この記事を書き終えて窓の外をみると、今年初めての粉雪が舞っていた。
自宅マンションからは、うっすら雪景色。