山城巡り 2022.1.末まで

新たな趣味として、山城巡りを始めた。

日本には、城が3万から4万もあるといわれている。でも、その90%以上は自然の山の地形を活かした所謂「山城」

大掛かりな石垣もなく、土を盛り上げた土塁、空堀だけであったが、地形を巧みに利用したさまざまなな山城が存在してる

まずは、秩父、武蔵といわれる地域の山城を巡りはじめた。

🌟は、わたしのお薦め、お気に入り

1.🌟我が街の川越城 (関東七名城・日本100名城

【参考】

【概略】

1457年(長禄元年)、扇谷上杉氏の上杉持朝は、家宰の太田道真、太田道灌父子に河越城川越城)の築城を命じ、自ら城主となった。

1497年(明応6年)には、扇谷上杉氏の当主・上杉朝良が居城する河越城に対抗して、山内上杉氏当主・上杉顕定入間川対岸の旧河越館に「上戸陣」を構築し、古河公方足利政氏を招いて、7年間も睨みあった。

1524年(大永4年)北条早雲の嫡男北条氏綱が扇谷上杉朝興の江戸城を収め落とし、翌年には扇谷方の岩槻城を占領して、武蔵の内陸に食い込んだ。

1537年(天文6年)に上杉朝興が死んで上杉朝定が若くして家督を継ぐと、若年の上杉朝定家督相続したのを好機と見た北条氏綱はそれに乗じて一気に攻勢をかけ、河越城を奪取。武蔵国支配を確定した。上杉朝定は北方の武蔵松山城へ逃れた。

1545年(天文14年)その後、氏綱の死後、上杉朝定は、敵対してきた古河公方足利晴氏)・山内上杉氏上杉憲政)と連合を組み10月から8万の大軍で河越城を包囲し、さらに今川義元武田信玄と連携し、駿河と武蔵でほぼ同時に後北条氏に対する軍事行動に出ることで圧迫を強めた

1546年(天文15年)4月、今川氏との戦いを終えて救援にかけつけていた北条氏康は夜襲で連合軍を撃退した。これが日本三大夜戦の一つ「河越夜戦」である。戦勝した後北条家は武蔵国の支配を完成させた。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、河越城を守っていた後北条氏の宿老大道寺政繁が、上野国まで出陣して迎え撃つが降伏。前田利家の軍勢が河越城に入城した。

徳川家康が関東に封ぜられたのに伴い、徳川氏譜代筆頭の酒井重忠が1万石をもって川越に封ぜられ、川越藩が立藩した。

川越藩立藩以後の川越城主は、酒井家→酒井家→堀田家→大河内松平家→柳沢家→秋元家→越前松平家→松井松平家と推移した

 

↓現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部

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川越城

川越城すぐそばにある川越博物館(入館料200円)の館内の展示物はほとんど撮影OK

資料も充実していて、定期的にガイドによる川越の町の説明があります。

下の写真は、川越城創設に携わった太田道灌の木造像

 

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↓ 川越城の敷地上側に「大手門」(今の川越市役所あたり)、その先が「札ノ辻」(T字路が多い中の唯一の十字路)、光を当てているところは「時の鐘」周辺

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↓富士見櫓の頂上付近にある「御嶽神社

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[1月13日 ]

2.埼玉県比企郡嵐山町 杉山城

🌟とても良く整備されていて、山城の特徴がわかりやすく、興味を深めてくれた

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杉山城

↓二の廓から本廓を見上げる

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3.埼玉県比企郡ときがわ町 小倉城

薄暗い雑木林を登り山頂に城を構えている

枡形小口あり、未だ一部発掘調査中だった

麓の日枝神社の枝垂れ桜が咲く頃にもう一度来てみたい

↓山頂の本廓

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小倉城

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[1月19日]

4.埼玉県比企郡吉見町 武蔵松山城

吉見百穴近くにあり

市野川を眼下に、そびえ立つ城

その当時の激しい争奪戦を忍ばせる

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↓本廓

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武蔵松山城

[1月27日]

5.埼玉県川越市下広谷 大堀山館

大きさは感じられたが、

竹藪で鬱蒼、観光地川越でもあるし、もう少し整備してくれてたら嬉しい

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6.埼玉県川越市上戸 河越館

だったぴろい、平城感たっぷり

【参考】川越博物館 資料引用

武蔵国を拠点とした武蔵武士は、平氏の流れをくむ秩父氏を中心とする豪族的武士と在地出身で武蔵七党と呼ばれた中小武士などに区分されます。河越氏は、上戸地区を拠点とした秩父氏の一族で、豪族的武士にあたります。

桓武平氏秩父氏の流れをくむ河越氏は、武蔵国の武士を統括する留守所総検校識を相伝する名門で、河越荘が成立した12世紀後半から200年余り武蔵国を代表する武士だった。なかでも重頼は源義経に厚く信任され、娘も義経に嫁ぎますが、後に義経縁者の立場が災いして処刑され、勢力が衰えます。その後、経重が活躍した13世紀後半ごろには再び隆盛しますが、応安元年(1368)、鎌倉府に背いた平一揆の乱で敗れ、姿を消しました。

河越荘を治めた河越氏の居館「河越館」は、東に入間川、西に鎌倉街道を望む上戸の台地上、水陸の交通をおさえた要衝に位置しています。史跡整備に伴う発掘調査により、川と街道を結ぶ東西び道に沿って、堀や塀で囲まれた屋敷や寺院が立ち並ぶという13世紀~14世紀中ごろの景観が明らかになってきました。また、河越氏滅亡後も戦後期に至るまで、跡地が繰り返し利用されてきた様子もわかっています。

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[1月28日]

7.埼玉県比企郡吉見町 源範頼館(のりより)

跡地はお寺

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8.埼玉県東松山市 青鳥城(おおとり城)

広い本廓のみ?

駐車場が分からずコンビニに停めた

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9.埼玉県比企郡嵐山町 大蔵館

跡地はお宮

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10.埼玉県比企郡嵐山町 菅谷館

鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住

資料館100円なれど、とても充実

鎌倉時代に描かれた絵巻物「男衾三郎絵詞」に描かれる吉見二郎と男衾三郎の兄弟の話に興味湧く

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11.埼玉県比企郡小川町 腰越城

結構入り組んだ縄張り、でも本廓からは眺めは程よく良い

総合福祉センター・パトリアおがわに車を停めて登った

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↓槻川
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↓囮小口
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12.埼玉県東松山市高坂 高坂氏館

跡地はお寺

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[1月29日]

13.埼玉県大里郡寄居町 鉢形城

資料館臨時休館、本廓は発掘調査中

スケール、広さに感服

↓角馬出からの眺め

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14.埼玉県大里郡寄居町 花園城

竪堀の長さに驚き

藤田善導寺に駐車して登口へ

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↓ながぁ〜い竪堀
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15.埼玉県秩父郡長瀞町 天神山城

本廓に廃墟の観光城

白鳥神社の横が登口

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16.埼玉県秩父郡皆野町 竜ヶ谷城(千馬城)

痩せ尾根沿いの物見廓あり

看板の先を100mくらい歩くとハイキング看板に登口案内あり

登口の家のおばちゃんに地図をいただく

その家の犬が吠えるのを合図にしてるとのこと

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[1月30日]

17.埼玉県桶川市川田谷 三ツ木城

城山公園内

山城跡地は、何故こんなに竹藪が多いのかなぁ

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18.埼玉県北本市石戸宿 石戸城

ほとんど耕作地になってて、少し面影あり

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2022.1月度は18城を周った

山城は戦国時代にそれぞれの目的のもとに作られていたことがわかった。城の縄張りの中を歩くと、その当時の城の有り様が思い浮かんできて、どのように活用されて、そして戦っていたんだろう?など、情景を想像するととても楽しくなってくるる。

来月からも、どんどん山城巡りを続けていくことにきめた。