山城巡り 2022.2.15

[2月15日]

31.比企能員

遺構はなく、

↓扇谷山宗悟寺(せんこくさんそうごじ)周辺が跡地と言われている。

若狭の局が、持ち帰った頼家の位牌が現在も残されているとのこと。

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源頼朝の乳母・比企尼(ひきのあま)の甥(後に養子)であった比企能員は、頼朝を流浪時代から支えた功臣で、自身の娘である若狭局が鎌倉幕府2代将軍・源頼家の側室となったことから、幕府内で強大な権勢を振るった。

比企氏が将軍頼家の外戚として力を付ける事を恐れた北条時政は策略を巡らします。ついに建仁3年(1203年)頼家が病にかかると、同年9月2日、比企氏を倒すため北条邸で薬師如来の法要があると偽り、比企能員を自分の屋敷に招き殺してしまいました。
北条氏の軍は比企が谷の比企邸も襲い、比企一族は滅亡した。

参考

東松山市大岡市民活動センターに「比企氏紹介コーナー」が設置されてた(入場料無料)

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